大判例

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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)1891号 判決

原告

秋葉セサ

ほか二名

代理人

鈴木多人

被告

関根喜市

ほか三名

代理人

江口保夫

島林樹

復代理人

三善勝哉

本村俊学

宮田量司

主文

被告らは連帯して

原告秋葉セサに対し二三〇万円および内金二〇二万円に対する昭和四二年一月一日から、内金一〇万円に対する同年三月五日から、内金一一万円に対する本判決言渡の日の翌日から各年五分の割合による金銭、原告秋葉良造・同節造に対し、各二二六万三四〇六円および内金二〇五万三四〇六円に対する昭和四二年一月一月から、内金一〇万円に対する同年三月五日から、内金一一万円に対する本判決言渡の日の翌日から各年五分の割合による金銭をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告ら――「被告らは連帯して原告秋葉セサに対し、二三〇万円および内金二〇二万円に対する昭和四二年一月一日から、内金一〇万円に対する同年三月五日から、内金一八万円に対する本判決言渡の日の翌日から、原告秋葉良造、同秋葉節造(以上原告らを以下順次に原告セサ、同良造、同節造という。)に対し、各二三五万円および内金二〇七万円に対する昭和四二年一月一日から、内金一〇万円に対する同年三月五日から、内金一八万円に対する本判決言渡の日の翌日から、いずれも完済に至るまで年五分の割合による金銭を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

被告ら――「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二、原告らの請求原因

(一)  交通事故の発生と秋葉馬治(以下馬治という。)の死亡

昭和四一年一〇月六日午後三時一五分頃、東京都豊島区巣鴨六丁目二八番地先の道路において、被告鈴木蘭子(以下被告蘭子という。)が自家用小型乗用車(練馬五ま六一―六〇号、以下被告車という。)を運転して進行中、折柄同所を左から右に歩行横断中の馬治に接触、転倒させ、よつて同人に対し前額挫傷、頸椎損傷、両側下腿右足関節部挫創の傷害を与え、該傷害のため同年一一月二日午前一〇五三分、同区巣鴨五丁目一一五二番地京北病院において死亡させた。

(二)  被告らの地位

被告らは本件事故発生当時、同居の親族であつて、関根喜市商店の商号で燃料商を営み、被告車を共同所有し、これを営業のため使用し、もつてそれぞれ自己のため運行の用に供していたものである。すなわち被告関根喜市、同関根きみよは、長男被告関根恒雄(以上の被告らを以下順次に被告喜市、同きみよ、同恒雄という。)、長女被告蘭子(昭和四一年一一月一五日訴外鈴木伸幸と婚姻して夫の氏を称する。)らの子女と共に、東京都豊島区巣鴨二丁目二一番地の木造二階建店舗兼居宅(独立の家屋番号を有する二棟の建物ながら、東北に接着築造されているもの。)に同居し、「関根喜市商店」の看板を掲げ、昭和三三年頃から引き続き燃料商を共同して営むもので、税法上の届出は被告きみよを事業主、被告恒雄を専従者とし、また所有の電話のいわゆる電話番号簿上の名議は、関根喜市または関根商店名であるが、前記二棟の建物の増築資金借受けに当つては、被告喜市、同きみよが互に連帯債務者となり、また手形貸付・割引契約にあたつては、被告喜市、同きみよ、同恒雄らが連帯債務者となり、前記建物を担保に供し、被告蘭子は数年来家業を手伝う等、その実体は被告喜市を主宰者とし、被告恒雄がこれを補佐し、被告きみよ、同蘭子は家事のかたわら事業を手伝い、家事による利益と損失とは被告ら全員に直接帰属するもので、共同経営をなすものであるところ、被告らは昭和四一年五月頃被告車を購入したが、その所有登録名義を被告恒雄の単独名義にしただけで、被告車の車体に前記商号および電話番号を表示し、これを営業に使用するほか、しばしば個人的用途にも使用していたもので、被告らはいずれも被告車を管理支配し、その運行による利益を享受する地位にあつたものである。

(三)  損害

(1)  馬治の蒙つた損害(合計七七三万六四五五円)

(イ) 治療関係費一九万七四〇〇円

馬治は受傷直後から昭和四一年一一月二日まで二八日間にわたり、前記京北病院から治療をうけたものであるが、この間治療に要した費用は別紙第一記載のとおりである。

(ロ) 逸失利益六八九万九〇五五円

馬治は明治一三年一〇月二二日生まれで、明治三五年三月から教職にあり、宮城県女子師範学校長、東京盲学校長を歴任し、昭和一〇年から私立文華高等学校(のち十文字高等女学校、十文字学園と改名または改組)教頭、理事、評議員を経て、昭和三〇年から引き続き十文字高等学校、同中学校の各校長兼十文字学園役員に就任し、殆んど毎日早朝から遅くまで勤務し、本件事故発生当時、右学園から年間手取り給与一四八万九六一三円(総額一七一万六七六六円、源泉徴収税額二二万七一五三円)、手取り恩給一六万四八二六円(総額一七万五三四四円、源泉徴収税額一万五一八円)の合計一六五万四四三九円の収入を得、生活費に年間四八万円を要し、年間一一七万四四三九円の純収入を挙げていたが、八六才の高令ながら頭脳明断で壮者を凌ぐ稀有の健康体であつたため、本件事故に遭遇しなければ昭和四一年一二月一日から少くとも七年間は右同額の純収入をあげ得た筈であるから、右逸失利益の総額からホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を年毎に控除し、同年一二月未日における現価を求めると六八九万九〇五五円となる。

(ハ) 慰謝料  六四万円

(受傷から死亡までの二八日間の精神的苦痛につき一四万円、死亡の分五〇万円)

(ニ) 原告らの相続

原告セサ(明治二〇年四月二一日生)は馬治の妻、原告良造(大正一一年一一月一五日生)は同人の四男、原告節造(大正一四年一〇月三一日生)は同人の五男であるが、同人には原告ら三名のほか相続人がなく、馬治の死亡により、原告らは前記(イ)ないし(ハ)の請求権を各三分の一宛相続により取得した。

(2)葬儀・法要費  四二万二四四〇円

右内訳は別紙第二記載のとおり

(3)  原告ら固有の慰謝料(原告セサ分八〇万円、原告良造・同節造分各七五万円の合計二三〇万円、予備的に原告セサ分一〇一万三三三三円、その余の原告ら各九六万三三三三円の合計二九三万九九九九円)

原告セサは明治四三年四月二八日、馬治と婚姻し、七名の子を儲けたが、そのうち五名は幼死したものの、原告良造・同節造を養育し、馬治を助けて前記のとおり多年教育界に尽させ、多大の貢献をさせたものであるところ、本件交通事故により夫を失つたもので、その精神的苦痛は甚大であり、父を失つたその余の原告らの苦痛もまた多大であるが、被告らは事故責任を回避し、馬治および原告らを侮辱・脅迫し続けるから、これら苦痛の慰謝料としては、原告セサにつき八〇万円、同良造・同節造につき各七五万円が相当である。なお仮りに馬治自身の慰謝料請求権の死亡による相続が認められなければ、原告らは前記(ハ)の額をも、その固有の慰謝料として請求する。

(4)  弁護士費用  八四万円

原告らは昭和四二年一月一七日、東京弁護士会所属弁護士鈴木多人に対し、本訴の提起と追行方ならびにいわゆる自賠責保険金の請求方とを委任し、その手数料として各一〇万円、謝金として各一八万円(支払日は第一審判決言渡日)を支払うことを約し、手数料のうち一〇万円は同年一月一七日、二〇万円は同年二月二七日にそれぞれ支払つた。

(5)  自賠責保険金の受領分一七一万七一八〇円

原告らは右保険金を前記治療関係費等の債権に充当したので、前記(1)(2)の合計八一五万八八九五円から、これを控除すると六四四万一七一五円となり、その三分一は二一四万七二三八円(円未満切捨)となる。従つて原告セサは三二二万七二三八円、原告良造・同節造は各三一七万七二三八円の損害賠償請求権を有する筋合である。

(四)  よつて被告らに対し、原告セサは右のうち二三〇万円、原告良造・同節造は各二三五万円および前者は内金二〇二万円に対し、後者は内金二〇七万円に対する本件不法行為後であり、前記(1)の(ロ)の逸失利益算定の基準日の翌日である昭和四二年一月一日から、内金各一〇万円(既払の弁護士手数料)に対する本訴状送達の日の翌日である同年三月五日から、内金各一八万円(弁護士謝金)に対する本判決言渡の日の翌日から、いずれも完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

第三、被告らの答弁および抗弁

(一)  答弁

請求原因(一)の事実中、原告ら主張の日時、場所において、被告蘭子が被告車を運転中、馬治と接触したことは認めるが、同人の傷害の部位程度および死因については不知。同(二)の事実中、被告きみよが燃料商を営むこと、同被告と被告喜市とが、原告ら主張の建物を一棟宛所有すること、被告恒雄が被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供する者であることは認めるが、その余の事実は否認する。被告車は被告恒雄においてレジヤー用として独自に購入していたもので燃料商の業務執行とは全く関係がなく、本件事故発生当時も被告蘭子が兄五男の通学のため大塚駅まで送り届けての帰途であつた。なお被告きみよは、小型四輪貨物自動車三台を保有し、これを使用して商品の運搬等営業の用に供していたのである。同(三)の事実中、原告らがその主張のとおり自賠責保険金を受け取つたことは認めるが、被告らが賠償につき誠意がなく、原告らを侮辱・脅迫し続けていることは否認し、その余の事実はすべて不知。なお被告らは治療費八万三九三五円を支払つた。

(二)  抗弁(過失相殺)

仮りに被告蘭子に過失があるとしても、本件現場は幅八メートルの極めて交通頻繁な道路であるところ、馬治は八六才の老令で極度に腰が曲り歩行の際周囲の交通の安全を確認することも困難であるのに、横断歩道ではない現場を単身斜横断を敢行していたもので、同人自身およびかかる老令者を単身で交通頻繁な路上に放任していた原告らにも、本件事故発生につき過失がある。

第四、右に対する原告らの答弁

(一)  被告らが京北病院に対し直接支払つた治療費が八万三九三五円であることは認めるが、のちにこれについては自賠責保険金から受領ずみであるし、また原告らが本訴で請求す治療関係費中別紙第一の1の加療費内払金は、右と別個のものである。

(二)  抗弁事実を否認する。本件現場は歩車道の区別もなく、住宅街を貫通するアスファルト舗装の直線路であつて、附近には横断歩道の標示がないが、当時馬治は普通の歩度で横断を開始し、道路中心線を越えた所で事故に遭遇したこと、他方被告蘭子は、ブレーキ操作に支障のあるつつかけサンダルを履き、指定最高制限速度を五キロメートル超える時速四五キロメートルで進行し、先行していたジープの右側を追い越し、進路前方二七メートルの地点に馬治を発見したのに、ただちに急停車の措置をとらないで進行を続け、馬治に接触し、これを一メートル位高くはねとばしたものであつて、本件事故は専ら被告蘭子の重大な過失に基くものである。なお馬治が心身共に健康であつたことはいうまでもない。

第五、証拠〈略〉

理由

第一、責任原因

(一)  昭和四一年一〇月六日午後三時一五分頃、東京都豊島区巣鴨六丁目二八番地先の路上において、被告蘭子が被告車を運転中、馬治に接触したことは当事者間に争がなく、その後馬治が死亡したことは被告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきところ、〈証拠〉を総合すると、本件事故発生に至るまでの経緯、事故の態様、馬治の傷害の部位・程度および死因は、次のとおり認められる。

本件事故現場の道路は、南西方国電大塚駅から北東方巣鴨警察署を経て中仙道に通じ、住宅街を貫き、歩車道の区別のない幅員約八メートルのアスファルト舗装路で、毎分四、五台程度の車両が通行し、歩行者も稀でなく比較的交通量の多い道路であるが、事故発生現場の南西方約五〇〇メートルの地点にある大塚駅から、北東方に向けて進行すると、道路はやや曲折し、上り坂になるが、坂の頂上からは平担な直線路でみとおしはよく、坂の頂上から事故現場までは、さして遠くないこと、現場附近には横断歩道の標示がなく、最高速度は時速四〇キロメートルに指定制限されているほか格別の交通規制がなされていないこと、本件事故発生当時は晴天・無風であつて、人車の交通は閑散であつたこと、馬治は生来健康に恵まれていたうえに、多年心身の鍛錬を心掛け、とりわけいわゆる自彊術体操を毎日試みていたため、年令に比して注意深くかつ強健で、多少腰がまがり、特に歩行の際は前かがみの姿勢になり勝ちで、読書には老眼鏡を用いるものの、平常は眼鏡を使用せず、聴力も概ね正常であり、送迎用車両の提供を謝絶し、しばしば電車と徒歩により登校していたほど、体力にも気力にも老令による衰弱の徴候が少なかつたこと、本件事故発生当日、同人は知人の葬儀に参会後、本件現場の道路を横断し、そこから約一〇〇メートル位の所にあつた十文字学園に登校しようとして、現場西側(中仙道にむかつて左側)の道路側端から東側へと、ほぼ直角に歩行横断を始め、道路中心からやや東寄りの地点に達したとき、右腰部附近に被告車の前部左側フェンダー・左側サイドミラーを激突され、上方にはねあげられ、衝突地点から一メートル位北東方の路上に転倒されたこと、他方被告蘭子は結婚式を間近にひかえ(事故発生後約二週間経過した昭和四一年一〇月一九日頃鈴木伸幸と挙式、同年一一月一五日婚姻の届出、夫の氏を称する。)その頃落ちつかない日々を送つていたが、事故発生日の午前中は結婚祝に来訪した親類知人らを応接したのち、被告きみよの所用で大塚駅前に出かけることになり、踵の高いサンダルばきで被告車を運転し、所用の帰途本件道路を時速三五キロメートル位で道路中心附近を北東進していたものであるが、その頃対向車は殆んどなく、楠木幹男運転のジープのほかは先行者もなかつたところ、前記坂の頂上をすぎた頃、該ジープが減速したので、これを追い抜こうとして、進路前方左側の交通状況は、該ジープの車体によつて遮ぎられていたのに、敢て加速し、ジープの右側に進出したとき、前方二七メートル位の地点を左から右にやや前かがみになつて横断歩行中の馬治を発見したので、危険を覚え、ブレーキペダルに足をかけたもの、サンダルがすべつたためと慌てていたため、制動効果がないまま一〇余メートル進行し(この間警音器を吹鳴しなかつたし、ハンドル操作を左右に転じる措置もとらなかつた)、六、七メートルに迫つて、ブレーキペダルを強く踏むと共に、ハンドルを右に切つたが、及ばず衝突したこと、なお前記楠木は先行する車両のない状態で進行中、横断している馬治を発見して減速したものであること、馬治は楠木らの介助を得て直ちに京北病院に収容され、前額挫傷、頸椎損傷、両側下腿右足関節部挫創の傷害につき応急治療をうけたのち、一旦帰宅し、自宅療養と通院加療とを続けたが、昭和四一年一〇月一四日頃に至つて症状増悪化したので、同病院に入院して加療を続けたものの、同年一一月二日朝、頸椎骨折に基く外傷後発性尿細管変性症および慢性腎盂腎炎により死亡したものである。〈証拠判断略〉

右事実によれば、被告蘭子の重大な過失により馬治が死亡したことは明らかである。

(二)  被告きみよが燃料商を営むこと、同被告と被告喜市とが原告ら主張の建物を一棟宛所有すること、被告恒雄が被告車の運行供用者であることは、当事者間に争がない。右事実に〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認められる。

被告喜市は、明治四一年栃木県に生まれ、十文字学園の前身校を卒業した被告きみよ(明治四二年生)と昭和一一年頃婚姻し、同年長男被告を儲け、引き続き国雄(昭和一三年生)、五男(昭和一五年生)、被告蘭子(昭和一七年生)、洋子(昭和一九年生)を挙げたが、一旦郷里に帰住したのち、昭和二五年頃上京のうえ薪炭商を開業するにあたり、結核に罹患していたため、独り半年位上京を延引することとし、まず被告きみよ名義で、豊島区巣鴨二丁目二一番地の現住所で薪炭商を開業させ、上京も税法上等の届出には被告きみよを事業主とし、また被告恒雄を専従者としたものの、営業の実権を握り、使用人を一、二名使用するほかは、同居の家族全員の労働力を駆使し昭和三九年春頃、被告恒雄、国雄が相次で結婚し、同居するようになると、その養女らにも家業を手伝わせていたものであるが、近年に至り、生来頑固で、商品の運搬にはリヤカーで足ると広言するほど旧弊であつた被告喜市の発言権は、体力の減退のためもあつて漸く弱まり、他方恒雄ら妻子の経営上の地位は昂揚した結果、末子洋子を除く家族全員の共同経営の実態を形成するに至つたこと、既に昭和三四年頃から、営業用の手形取引契約には、被告喜市、同きみよ、同恒雄が互に連帯債務者の関係で共同して債務を負担していたこと、二棟の建物の二階部分および裏側を居住用にあて、一階前面部を店舗に使用し、営業による収益から必要経費および同居全家族の生活費(石けん、下着等の日用品に至るまで)をその都度支出する一方、被告蘭子には小遣も与えず、販売外交等の主力をなす被告恒雄に対してすら、賃金を支給せず、月額七〇〇〇円位の小遣名下の金銭を得させていたにすぎないこと(被告ら家族の特異な近密度もしくは一体性を、被告恒雄自身集団家族的構成と表現している)、被告車の購入にあたつては、かつてパブリカ等保有の事業用貨物自動車購入の際被告喜市が購入に反対したことがあつたので、被告恒雄・蘭子・国雄・五男らとその妻らが発議賛成し、集金等の営業用兼家族のレジャー用として数名の拠金を合わせて買取したところ、一旦は叱責した被告喜市も、車体横に自店各と所有の電話番号とが大書されていることが宣伝になる旨被告恒雄らから説得されるや、購入を事後承諾し、家族間の運転有免許者がこれを集金のため運転するにまかせ、営業の売上金から燃料費自動車税等が支払われるのも黙認していたこと、昭和四一年五月頃代金六四万円で購入した際、被告車の登録名義は、便宜上長男であり、購入の主唱者であつた被告恒雄の単独所有名義としたが、同被告はもとより他の家族も家事に使用運転し、他の家族に告げないで、しばしば個人的用事でも使用し、また被告喜市・同きみよらは、同乗し、あるいは都度運転者に所用を弁じさせたりして利用していたもので、事故発生時まで四月間余で被告車の走行は一万二〇〇〇キロメートルに達していたこと、被告蘭子は高校卒業後、区役所に勤務したりしたこともあつたが、昭和四〇年頃から、家事と家業の手伝とに専念し、同年秋頃運転免許を取得し、前記パブリカ等を運転していたが、被告車購入後は、短時間ながら連日運転していたもので、これらの場合必ずしも兄達の許諾を得なかつたし、本件事故発生当日も、被告恒雄らからの許諾を求めないで乗り出したものであること。

右のとおり認められ、この認定を覆すにたりる証拠はない。右事実によれば、被告らは被告車を共同所有し、これをその共同経営にかかる燃料販売業務に使用するほか、集団的家族の共同の余暇利用等に利用し、または家族成員の個人的用事にも奉仕し、さらに他の家族の許諾を得ないで自由に個人的用途にも使用できた(自由な使用は、その家族集団の特異な近密性もしくは一体性に依拠するから、純粋に個人的用事は殆んど観念されない)もので、いずれの場合にも共同運行供用者の地位にあつたものと解するのが相当である。

第二、損害

(一)  馬治の蒙つた損害

(1)  治療関係費一九万七四〇〇円

〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すると、被告らが京北病院に直接支払つた治療費八万三九三五円(この点につき当事者間に争がない)のほかに、馬治の受傷加療のため、別紙第一記載のとおり支出したことが認められ、いずれも本件事故と相当因果関係のある損害と解する。

(2)  逸失利益

前記第一の(一)の事実に〈証拠〉を総合すると、馬治は明治一三年一〇月二二日福島県に生まれ、同三五年から教職にあり、中途軍務に服したものの、同四三年東京高師英語科卒業後は、昭和一〇年まで中等および師範ならびに特殊教育に専念し、この間宮城県女子師範学校長、東京盲学校長を履任し、米、独、英および欧米に留学を命ぜられ、高等官三等正五位に叙せられたが、昭和一〇年頃から私立文華高女教頭に就任し、その後同校の改名、改組に際しても、その実質的創設者である郷党堀切善兵衛の委嘱もあつて、理事、評議員等を兼ね、昭和三〇年から十文字中学および同高校の校長を兼帯し、あわせて東京都私立中学・高校恩給財団評議員兼振興協会理事に任ぜられて本件事故当時に至つたもので、校舎の増設、幼稚園、短大の併設等学校経営にも偉功あり、初等から高校にいたる一貫教育の実現と、私学の振興とに功績多大で、殊に、十文字学園では強健な身体を健学の基本方針の一として、いわゆる自彊術体操を毎朝全生徒に課し、自ら卒先垂範し、その成果はめざましく、殆んど毎日早朝登校しては校務と読書を続け、その心身の稀有の強壮さは知人を驚嘆させていたもので、本件事故発生当時、同学園からの給与および恩給合計一八九万二一一〇円の年間収入を得、その生活費四八万円を控除し、年間一四一万二一一〇円の純収入を挙げていたものであるところ、同学園理事長十文字良子(前記堀切善兵衛の子)らは、私立学校の教員中には九〇才をこえてなお勤務する者もあり、十文字中学・高校の校長職には任期の定めがないためと、馬治の多年の功績に酬いるため、終身在職を願い、同人もまた存命の限り同学園に在つて教育界に尽すつもりであつたから、本件事故に遭わなければ同人は、その後昭和四五年末までの四年間は右職務を続け前記純収入を得た筈であり、この逸失利益の総額からホフマン式計算方法により年毎に年五分の割合による中間利息を控除し、昭和四一年一二月末日における現価を求めると、五〇三万(万円未満切捨)になる。(馬治が年間二三万七六七一円の源泉徴収税額を課されていたことは明らかであるが、本件では、逸失利益の算定にあたつて収入からこれを控除すべきでないと解する。ただし死亡事故における損害賠償額の算定は、元来失われた生命そのものの金銭的・財産的評価と観念されるべきところ、その直接的、総体的把握はきわめて困難であるところから、従来まずその財産的側面と精神的側面とにわけたうえ、前者の評価にあたつては、いわゆる逸失利益算定の問題として将来の各時期に取得するものと予測される収益の喪失の要償額を現時点において算定するべきものと考え、擬制的把握を敢てする結果、傷害事故の場合における過去の休業補償(それは収益そのものの補償すなわち所得喪失の補償であり、既存のものとしてきわめて高度の蓋然性をもつて回顧的に確定することができる。)の算定と同様に処理され、公租公課控除の問題も共通に論じられてきたが、逸失利益の算定は、所得能力または稼働能力を将来にわたつて展望的に評価するものであつて、彼此本質を異にするから、休業補償に対する課税説の一論拠とされる規定(所得税法施行令三〇条三号、九四条二号、同法九条一項二一号参照)をこれに推及するのは相当ではなく、また労働の再生産性の考慮を容れる余地もないから、死亡事故の場合におけるいわゆる逸失利益の算定にあたつては、収入から源泉徴収税額を控除するべきではないと解する。)

(3)  前記のとおり馬治は、本件事故により重傷を蒙り、直ちに病院に収容されて応急治療をうけたのち帰宅し、一週間位自宅療養と通院加療とにつとめていたが、症状増悪のため入院加療を余儀なくされ、結局受傷後二八日目に死亡したもので、〈証拠〉によれば、馬治は受傷直後取り乱していた被告蘭子をかえつて慰めるような言動をしたこと、他方十文字中学・高校の事務長であつた白井繁は、京北病院事務長の依頼で、加療期間中少くとも一度は被告らに対して、治療費の支払をなすべき旨を交渉したが、被告らにおいて言を構えて応じなかつたことが認められるところ、原告らは、馬治が受傷後死亡するまでの間にうけた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料請求権および死亡によるそれを併せて取得し、これらを相続した旨主張するので判断する。

傷害の部位・程度、加療の期間・態様を併考すると、本件にあつては、馬治は被告らに対し生前傷害による慰謝料請求権を取得したものと解するのが相当であるが、該請求権は帰属上も行使上も一身専属的性質を有するもので、被害者の請求に応じ加害者がその支払を約した場合のように特別の事情により通常の金銭債権と同視しうべきものに転化した場合のほかは、被害者の死亡と同時に消滅し、これを相続人らにおいて相続するに由ないものと解すべきところ、本件では右のような特別の事情につき主張立証がないから、一旦馬治が取得した本件傷害による慰謝料請求権は、同人の死亡によつて消滅したものといわざるを得ない。また馬治の死亡によつて、同人自身が自己の死亡による慰謝料請求権を取得するということはあり得ず、これを原告らが相続により承継取得することもまたあり得ない筋合である。従つて馬治本人の両種慰謝料請求権に関する原告らの主張は、いずれも理由がない。

(4)  〈証拠〉によれば、原告らはその主張のとおり馬治の妻と子であつて、他に同人の相続人はなく、馬治の死亡によつて原告らは前記(1)(2)の請求権を各三分の一宛相続により承継取得したことは明らかである。

(二)  〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すると、原告らは馬治の葬儀と法要とに別紙第二記載のとおり、合計四二万二四四〇円を支出したことが認められるが、同人の年令、社会的地位、挙行された葬儀式および法要会の内容等を考慮すると、右のうち本件事故と相当因果関係にたつ損害額は、二五万円とするのが相当である。

(三)  原告ら固有の慰謝料

〈証拠〉を総合すると、原告セサは明治四三年馬治と婚姻以来、同人の転勤に伴つて各地を転々としながら、原告良造、同節造らの子を養育し、この間馬治をして教育界に尽瘁させ、斯界に多大の貢献をさせ、近年二子の独立に伴い、馬治と二人きりの余生を楽んでいたところ、本件交通事故により同人を失つたもので、同原告の蒙つた精神的苦痛はまことに甚大であると推認され、他方その余の原告らは、現に妻子を得て独立の世帯を構えてはいるものの、長男馬治と同居してその薫陶をうけ、将来もこれを期待し、なお畏父の在職在世により職業上の便益も享受していたものであるところ、その死亡によつて物心両面の援助もしくは教導をも失つたもので、原告良造・同節造の苦痛も甚大であると推認される。ところが被告きみよは十文字学園の前身校の出身であり、関根商店は暖房設備とその燃料の供給に関し、十文字学園と継続的取引があつたにもかかわらず、馬治の治療費の支払についてさえ言を構え、同人の老衰を云為したとする等賠償につきみるべき誠意に乏しい。

以上諸般の事情を考慮し、原告ら固有の慰謝料の額は、原告セサにつき一〇〇万円、原告良造・同節造につき各八〇万円とするのが相当である。

(四) 被告らは、いわゆる過失相殺を主張するが、本件事故発生の態様および馬治の心身の状況が前記第一の(一)認定のとおりであるから、右主張は排斥を免れない。

(五)  原告らが自賠責保険金一七一万七一八〇円を受領したことは当事者間に争がないから、前記(一)の(1)(2)、(二)、(三)の合計額からこれを控除すること、被告らに対して賠償を請求しうる損害残額は、原告セサにおいて二二五万三四〇六円、その余の原告らにおいて各二〇五万三四〇六円(いずれも円未満切捨)となる。

(六)  弁護士費用

〈証拠〉によると、原告らは東京弁護士会所属弁護士鈴木多人に対し、本訴の提起と追行方を委任し、着手金各一〇万円を支払うと共に、成功報酬として認容額の七分にあたる金銭を支払うことを約したことが認められるが、本件訴訟の経過および前記認容額等を併考すると、被告らに賠償を求めうるのは、右着手金各一〇万円と報酬各一一万円とするのが相当である。

第三、よつて被告らは連帯して、原告セサに対し右(五)(六)の合計額二四六万三四〇六円、原告良造・同節造に対し、各二二六万三四〇六円および前記につき内金二二五万三四〇六円に対し、後者につき内金二〇五万三四〇六円に対する本件不法行為後であり、前記第二の(一)の(2)の逸失利益算定の基準日の翌日である昭和四二年一月一日から、両者とも内金各一〇万円に対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな同三月五日から、内金各一一万円に対する本判決言渡の日の翌日から、いずれも完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求は右の限度で認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(薦田茂正)

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